飛騨方言・しょうしなですが、
死語に近いでしょうね。
形容動詞であるものの、連用形しか文例が思い浮かびません。
私の心の中で既に死語です。
しょうしなこっちゃ、と言えば、あらあら可哀想に、という意味になりましょう。
また飛騨方言の形容動詞終止形の言い回しに、〜ななあ、
があります。こちらも死語に近いでしょう。
ですから、しょうしななあ、と言えば二重に死語らしいのですが、
勿論、少なくとも私にとっては飛騨方言のセンスにあっています。
可哀想だねえ、大変だよねえ、という意味になります。
別稿の通りですが、語源は、勝事なり、です。
実は頭高の形容動詞の語幹を昨日来、考え続けているのですが、
勝事以外に思いつきません。佐七もしょうしな、なあ。
飛騨方言の文末詞に、〜ななあ、なんてのがそう言えばあったのだ、と
思い知らされたのは、実は今月の雑誌・国文学解釈と鑑賞、
第72巻7号(2007/7月号)、至文堂、
清水由美、岐阜県高山方言、 pp 119-27、の寄稿です。
ネット検索をしていると新刊案内記事としてヒットした訳です。
女史はお生まれも育ちも高山のようであり、
表題も遠慮して高山方言ですが、文末詞・〜ななあ、は
広く飛騨全体で話されている言葉でしょうね。
この形容動詞の語幹は、頭高で三拍です。
ですからアクセントは
しょうし
▼ ○○
しょうしなことだ
▼ ○○○▼○○
しょうしなことや
▼ ○○○▼○○
しょうしなこっちゃ
▼ ○○○▼ ○
しょうしなことやなあ
▼ ○○○▼○○▼○
しょうしななあ
▼ ○○○▼○
となりますが、ここまでは飛騨人ならば
誰でもわかる事。
チョッピリ佐七節ですが
ナリ活用があった江戸時代までは
しょうしなりなあ
▼ ○○○○▼○
ナリ活用が崩壊した江戸時代後期ころは
しょうしなるなあ
▼ ○○○○▼○
明治以降は終に、る、が脱落
しょうしななあ
▼ ○○○▼○
戦後は
頓に方言はすたれて
ただ文字の化石として当サイトに
陳列されるのみ
という事でしょうね。